習慣の力

何気ない簡単なことでも、それを毎日やろうとすると案外できなかったりする。



「一日一回ピーナッツを一粒食べるってのは簡単だけど、それを毎日続けるってのは案外難しい。それを一週間、30日と続けてできるようになれば、たいていのことは続けてできるもんだ」ってな話を読んだのは何の本だっけか。



最初は無理矢理強制的に毎日、決まった時間に○○をやる、ってのをやってると、だんだんとそれが習慣化されて、気づいたら何の苦もなく普通に毎日○○ができるようになってる。

○○の部分に、毎日ちょっとでもいいから続けてれば自分を改善できるのになあ、って何かを入れて実行してみると、最初は面倒に思ってても、後になるとうまいこと日常的なパターンにうまく持って行けたり。



習慣づけてなにかをやるのが苦手だ、ってのなら、ブログなんかでこれから○○を毎日やります!と宣言して、毎日その記録をつけるってのも面白いかもしれない。もしくは、誰かといっしょになって何かを毎日やることにして、毎日それを互いに報告し合うとかも面白い。

自分ひとりじゃできないなら、うまいこと人を使ってモチベーションを高めるって方法。




とまあ、こんなことを書いてる私ですが、ここ最近ずっと毎日かかさずやってることってのが一つだけあって、それは朝食の写真を撮ってPhotoShareにアップするってこと。

別にこれをやったからといって何かいいことがあるわけじゃないんだけど、ダイエットとか健康的な食生活を考えるときに食事内容を意識するのは大事だし、後から見返してみると結構面白かったり。


たまに貼ってるここで見れます。
http://www.bcphotoshare.com/photos/6170
7月末から毎日続けてます。


ここにもまとめてばばーっと貼ってみる。










こうしてまとめて貼ってみると、結構壮観。


たまによく分からない内容の朝食になってる気がするのはたぶん気のせい。きっと気のせい。

写真を撮るということを考える

僕はなぜ写真を撮るのだろうか - shi3zの日記」を読んで。


何よりも写真を撮るのが好きだ!と言うほどには入れこんではいないが、自分でカメラという写真を撮る道具を買った20歳の頃から、写真を撮るという行為は自分の趣味の片隅にずっと席が確保されている。


初めてカメラは、今までとは全然違う日常を送る様になった大学生活を後から見返すために写真でも撮っておこうと思って、安い銀塩のコンパクトカメラを1万円ほどで購入した。

撮影する写真は主にスナップ写真で、そのほとんどが周りに居た仲間達を撮影したもの。写真の中に自分が写っていなくても、それを写した瞬間にはそれを撮っている自分がそこにいたという感覚。

サークル活動で北海道中あちこちを旅行してたので、いろんな場所で撮った写真がたくさん残ってる。大学3年の頃に、夏合宿で2週間ほど道北に旅行したときは、36枚撮りフィルムで十数本撮影して、旅行から戻って来てから現像代でひーこら言ってたのを覚えている。安い現像業者に出しても軽く1万円以上かかった現像代と引き換えに受け取った500枚ほどのプリント写真。それを見ると、いまでもあの時のことが思い出せる。


とにかく、ばんばん撮影するのが無性に楽しかった。銀塩カメラ時代の、現像してみるまでどんな写真が撮れていたか分からないくじを引く様な感覚。その当時の写真はスナップ写真中心で、もっと綺麗に写ったら!という欲求はほとんど無かったので、いいカメラが欲しいって感情はほとんど感じていなかった。知り合いが持っていた高性能なカメラをみても、「へー、そんなすごそうなカメラもあるんだ」くらいな感じだった。


そして、時は移って大学5年(M1)の頃。サークル活動に顔をだすこともほとんど無くなって、写真を写す機会もほとんど無くなっていたが、ここでデジタルカメラという新しい装置が生まれて進化していく歴史を目にすることになる。初めて買ったデジカメはカシオのQV-10A。

今の携帯電話についているデジカメなんかと比べても本当におもちゃみたいなしょぼい映像しか写らないという代物だったけれど、デジタルガジェット好き、写真好きな自分からしてみると、ダイヤの原石を見つけたような、そんな衝撃を受けるデジカメだった。



デジタルカメラというのは、一回本体を買ってしまいさえすれば、何枚写真を撮っても現像代がかかることがない。馬鹿みたいになんでもがしがし撮影しまくる自分にとって、ランニングコストが低いってのはとてもありがたかった。

初めてのデジカメQV-10Aを買ってからというもの、ほぼ1年に一回くらいのペースで新しいデジカメを買い続ける状況が続く。

どんなデジタルガジェットでもそうだが、出始めから数年の性能が急上昇していく時期ってのは新しく出る製品の新機能のひとつひとつにワクワクし、驚き、感動するもの。銀塩コンパクトカメラの時代は、とにかく写真を撮ることくらいしか考えてなかったけれど、いろいろ進化していくデジカメを触っているうちに、次第に写真そのものに対する興味も沸く様になった。

ズームや広角といった画角。絞りによって変わるぼけ味。デジカメが苦手とする明暗差の激しい写真。写真は純粋に光の情報をそのまま記録するのかと思いきや、実はメーカーごとにさまざまな色補正を加えていて脳内のイメージと一致するような変換をしてるという事実。各カメラーメーカーそれぞれが持っている独特なカメラの特性。


そうやって写真そのものに興味が沸いていくのと同時に、写真撮影に対するスタンスも昔とは少し変わったのを感じていた。昔はなんでも気にせずにがんがん撮影してたのが、あるとき写真を撮影したくないって瞬間があることに気づいた。正確にいうと、したくないというかできない、という時。

精神的に疲れていたり、悩んでいたりして心の余裕がないときは、写真を写す気になれなかった。ただ写真を撮るというだけのことなのに、心に余裕がないと写したくない、写せないという。

自分の中での撮影って行為は、写真として画像を記録するということ以外に、そのときの心象を脳内に焼き付けておくということもセットで行われていたのかもしれない。だから、写真を見る度に、そのときのことが後から鮮明に思い出せる。

心がいっぱいいっぱいで心象を焼き付ける余裕がないときは、撮影ができなかったってのは、両者が自分にとって切っても切れない関係だったからなのだろう。


写真そのもの自体は、ある場所のある瞬間の様子を画像として記録しているに過ぎない。カメラによって写りこそ変わるが、同じ場所で同じ瞬間に同じ構図で写真を撮れば、同じ写真が写る。

撮影する人が介在していて変わるのは、撮影者の視点。同じ場所に居たとしても、人によって何に注目してるかは全然違うもの。写真を撮影することで、そうした視点という違いが明らかになる。


自分が撮影した写真を見る時は、自分がそれを撮影したときに脳内に記憶した心象と照らし合わせながらそれを見るため、その写真を撮影した当時の様子を思い出すことができる。これは、写真を撮影した本人にのみ可能な現象。

一方、他人が撮影した写真を見る時は、純粋にその写真に写っている情報から得られるイメージ中心にその写真が写された様子を頭の中で想像することになる。自分の中の他のイメージからそれを類推したり、他の思い出を思い出したり。だから、いろんなイメージを多く持ってたり、いろんな経験をたくさん積んでいる人ほど、他人が撮影した写真から多くのものを感じられるかもしれない。



肉眼で、動画として見ている時には脳が処理しきれずスルーしてしまっている情報が、一気にクリアになる(解像度が上がる)のが、とても気持ちいい。

普段、我々が周りを見て認識してる情報ってのは、注目してる部分以外はばっさりカットされていて、案外少ない情報量なのかもしれない。それが、写真という形で高い解像度の情報として確認すると、単にそのとき脳内に記録していた心象と結びつくだけじゃなくて、いろいろな何かを喚起させてくれるのかもしれないな、とこのコメントを見て思った。

モンハンの勢いから一気に攻めに転じたPSPのリニューアル


SCEJ、「“美・画面”な“PSP-3000”」国内でも発表。PS3経由で離れた相手と対戦が可能になるなどさらに進化

モンスターハンターP2G効果で大幅に売り上げを伸ばしたPSP

発売当初はその高い性能が生かせずにPSPならではなタイトルが欠けていたり、いろいろとハード面やソフトラインナップにケチがついたりとスタートダッシュは大ゴケでしたが、発売からそろそろ4年になろうとしてる今、ようやく勢いに乗ったみたいです。



10月に本体がマイナーチェンジされてリニューアルされる以外にも、もう最近のソニー製品じゃ当たり前になったシステムソフトウェアアップデートによって、よりゲームを楽しめる新しい機能も実装される予定。


いくつか新機能はあるが、一番の目玉は、今のPSP好調の流れを作ったアドホック通信によるネットワークプレイを、PS3に専用ソフトをインストールして経由することでネットワーク越しのネットワークプレイも可能にするといったもの。

簡単に言えば、モンハンでいままではその場に集まってしかいっしょに狩りに行けなかったのが、この機能を使えばネットの向こうにいる人と狩りに行くことができるようになるってこと。今までもそれを実現しているPCソフトが存在していたが、PCに詳しくない人には導入が難しかったり、動作が不安定だったりした。ソニーから純正でそういう環境が提供されることで、より多くの人が安定したネットプレイを楽しめるという環境が実現される。



本体のリニューアルも、マイクの実装、液晶ディスプレイ、テレビ出力の高性能化と変更される点はそれほど多くはないが、必要な周辺機器(メモリカードなど)をセットにしたバリューパックや新作ソフトとのセット販売など、より新規で購入しやすい販売スタイルが多く用意される模様。



PSPが気になって来てる人は、この秋〜冬が購入のいいタイミングかもしれません。



関連情報:

消費の速度が上がった先にあるもの


www.さとなお.com(さなメモ): ぼくたちは何だかあっという間に消費しちゃうね」を読んで。


世の中に流れる情報量が爆発的に増えて、人々がもう右から左へと流す様に情報を消費していくことしかできなくなった今、確かにほんのちょっと前のことでもずいぶんと昔のことに感じられるようになった。

今や、ネットでの個人による情報発信のメインとなったブログも、次から次へと時系列で情報を発信できるから、どんどん更新される新しい情報に押しのけられて、少し前のこともあっという間に過去となってしまう。



こうして、浴びるように大量の情報に晒されている我々だが、人が認識して処理できる情報量なんてたかが知れている。溢れんばかりの情報を見て、もう何が自分に必要な情報か判断できなくなり、ただ流されるがままになってしまう人、自ら考えることを辞めてしまう人、何か確かな物が欲しくて人との繋がりを求める人、好きな情報だけ集めて引きこもってしまう人、批判はするけど物事そのもの自体を動かそうとはしない人、そんな人達がたくさん出てくるんだろう。



都会を歩けば、至る所で目にする広告、街中に流れて混じりあうさまざまな音楽、アナウンスの濁流に飲み込まれるし、テレビをつければ話している内容がテロップで流れまくり、観客の笑い声や出演者の表情のピクチャーインなどで感情の起伏まで情報化され、CMになれば「Webで○○を検索!」と能動的なアクションまで押し付けられる。過剰なまでの情報の押しつけで、何が自分にとって必要な情報か分からなくなるのも無理は無い。

一方で、自分から能動的に情報を探す人にとっては、ネットというさまざまな情報へのアクセス手段ができたことは素晴らしいことだが、そうやって知りたい情報を探そうと思うと今度は情報が足りていなかったりする。ネットの進化が速すぎて、今まで情報を司って来たさまざまな分野からネットに情報が移動するのが遅れているし、そもそも個人で情報を発信するような人達の数が絶対的に足りていない。



これからの時代、情報に対して受け身でいるか、能動的に自らで探したり発信したりしていくかの差はどんどん開いて行くように思える。

受け身で溢れる情報をただ浴びてばかり居ると、感覚や自分の思考が麻痺していく。自分で感じたり考えたりしなくても、それっぽいものが大量に流れているからいいや・・・と感じたことがある人は少なくないはず。

能動的に自ら情報を探せば、今までは得ることが難しかったり無理だった情報が得られるような時代にはもうなりつつあるし、そこから一歩進んで自分が持つ情報を発信するようになると、回り回って自分の元にまた情報が戻って来たりもする。



次から次へとネット上に登場してくる新しいWebサービスを使って、いろんな人がいろんなコンテンツを作り出し、公開し、共有し、楽しんでいる。かつてはメディアによって作られたものからしか選ぶしかコンテンツを楽しむ選択肢は無かったが、今なら世界中の人達が作ったコンテンツから、自分が楽しい、すごい!と思えるものを探してきて楽しめるようになった。

他人とのコミュニケーションのための共通言語として消費されるコンテンツは、いまでも旧来のメディアによる拡散効果が大きいが、コンテンツそのものを自分の感覚で楽しむという行為においては、プロとアマチュアの差がどんどん希薄になりつつある。音楽や動画、イラストなどの分野は、受け身と能動的な違いがもっともよく現れている分野で、こうした流れは今後もますます加速し、さまざまな分野へと広がっていくだろう。



溢れる情報に流されてしまうか、自分の感性を信じて何かを探したり、作ったり、発信したりするか。これからの情報化社会を生きていく上で重要な選択の分岐点なのかもしれない。

オフ会でのコミュニケーション


個体認識関連 2008-08-31 - また君か。@d.hatena」を読んで。

オフ会におけるコミュニケーションの話。

暮らしのうえでも「人付き合いの中で、A さんと自分とで、持ち合う互いの情報量が不均衡になる」て状況はよくあるけど、ネットの場合その不均衡が極端になりがちで。

ネットの場合には、好きに自分に関する情報を発信できて、またそれを見る側も自由にそれを見られるって環境がごくごく当たり前(まあ、クローズドなSNSなんかは違うけれども)なので、がんがん情報発信してる人なんかは他人にはよく知られているけれども、情報発信してる人自体はその他人はほとんど知らないなんて状態や、片方が交流してるつもりでたくさんコメントしたりしてても、もう一方はそれをほとんど認識してなくて誰?この人?なんて状態がよくある話。

「アウェーの OFF 会はきつい」とはよく言うんだけど、その具体例として挙げがちの大規模 OFF 会とかって、ようするに「自分があまり興味を持っていないひとが大量に居る OFF 会」なんだよね。そこで行われるのは必然的に「売り込みの乱取り」みたいなものになるから、ただその場に居るだけでも気疲れするし、事前に根回しをしておいたり、またはよほどうまくマッチングが決まらないと、いきなり飛び込んで楽しむのはむずかしい。

今年の年初めにTwitterの新年会に参加したときに、これを強く感じた。大規模オフ会でも、あるテーマに沿った集団だったら、そのテーマについて語ってればなんとなく話は持つんだけど、これがTwitterとなると、Twitterそのものの話題以外って共通する話題がないことが非常に多かった。

名刺交換辺りをきっかけに(交換しなくても、相手に名刺渡すだけで何かしらのきっかけにはなる)多くの人と話したけれど、数百人規模でフォローしててもなおフォローしてない人の方がずっと多かったし。ほんとに共通の話題がないアウェー状態w 



ただ、こちらは向こうのことを全く知らないって状況でも、何人もの人に「あ、ブログ読んでますよ」と言われたってのは、ひたすらブログで情報発信してることのなせる業なのかなーと思ったりも。こっちは相手のことをほとんど知らないのに(知っていたとしてもTwitterのログを少し読んだくらい)、向こうはこっちが書いた物を読んでいてある程度こちらのことを知られているってのは、なんとなくむずがゆい状況。



オフ会は数人(自分的にはオフ会は3人から)〜100人超までいろいろ体験したけど、あまり気苦労なく楽しめるのはせいぜい10人程度まで。それ以上になると、どうしてもメンバーの偏りがでるし、痛い行動をする人が含まれて来たりするし、統率取れなくなったり、で純粋に楽しむってところからどうしても外れがちに。

コミケの話題とかでも出ていたけど、オフ会の場合にもお客様意識で参加してくる人はとかく嫌われがち。普段面識がない人を大勢集めて何かを開催するってことの大変さは、実際にそれをやったことの無い人、やろうとしない人には想像できないのかもしれないが、知らない人が集まる場だからこそ、各自がちょっとした気配りを働かせないとあっという間に場はしらける、というか盛り上がらない。


逆に、そういう気配りが無くても全員それなりにコミュニケーションが取れる規模(10人以下)のオフ会だと、だいたいの場合、ノリで結構盛り上がる。幹事の目もだいたい全体に届くし、何人かサポートしてくれれば盛り上がりからはぐれる人が出ないですむから。

どれだけあるのか分からないGoogleの各種サービスの広告


Googleが“池袋駅にだけ”広告展開している理由 - ITmedia Biz.ID」を読んで。


池袋駅にだけ展開されているというGoogleの広告。


Googleのサービスはそのほとんどが無料で提供されており、しかも恐るべきペースでさまざまな新サービスが展開されていっています。その多くは英語版からのスタートなので、あまり日本人には知られていないサービスも多いですが、もうすでに数十種類になっているはず。


そんなGoogleのサービスはPCだけじゃなくて携帯電話やスマートフォンなどからも利用できるようになっており、もっとそれらのサービスを知ってもらおうという主旨の広告がこの池袋駅にだけ展開されているというものらしいのですが、どの広告もGoogleのサービスで実現できる、いままでではありえなかった体験の紹介になってて面白いです。

今、考えてパッと思い付くだけでも、Google検索、GmailGoogleカレンダーGoogle MapsYoutubeGoogle AdSenseなんかは日常的に使ってて、Google Mapsは経路検索やストリートビューみたいな付加機能もよく使うし、他のWebサービスGoogle Mapsを利用してるものも多く、検索ではGoogleサジェストで便利に検索できたりもします。



ネットをいろんな目的で利用しているけれど、Googleのサービスってのは思ってる以上に自分の生活の中に入り込んでるんだなあ、と感じる広告でした。

iMac10年の歴史をデザインから辿る


『iMac』誕生10年、デザインの軌跡をたどる:画像ギャラリー | WIRED VISION

世の中をあっと言わせたあのボンダイブルーの初代iMacの登場からもう10年になるんですね。


初代iMacが発表された当時は札幌に住んでいて、PCショップに入荷したのを見に行ったら大行列で入場規制が行われる中、あの初代iMacを見て来たってのがいい思い出。

初代iMacが発表された基調講演は、大学の研究室で深夜に実験しながら合間にストリーミング中継を見てた記憶があります。誰もいない研究室で一人真夜中に。「うお、なんだこれー!」とか一人盛り上がってた記憶がw



初代の形のiMacはさまざまなカラーバリエーションが出たけど、大学で使う論文を書くためのマシンとしてグラファイトiMacを購入し、その後それを自宅に持ち帰って自宅鯖として数年使ってました。壊れかけてたHDDを交換して、今でも鯖用に使えるようにはしてあるんですが、今の自宅のネット環境があんまりよろしくなくて自宅鯖なんて到底立てられない環境なので、部屋の片隅でひっそり眠っています。



その後のiMacはFlatPanelと呼ばれるいわゆる大福型に。この型のiMacは、職場で仕事用として数年使ってました。その職場を辞めるときに、廃棄処分になったそのマシンをもらい受けてきたんですが、持ち帰って来た後HDD不良で起動しなくなってそのまま。たぶんHDD交換すれば動くんですけど、今となっては交換用のHDDも中古じゃないと手に入らないので手つかずのままです。



そして、iMacは今の形である液晶ディスプレイと一体型へと進化。最初のiMacらしいホワイトの筐体のものも十分に小型化されていたのですが、今の型のiMacだと本当にどこにマシンが入ってるの?と思ってしまう人もいるくらい液晶ディスプレイと一体化されたデザインになっています。



そんなiMacもそろそろ型代わりしてもいいような時期。次はいったいどんなデザインであっと言わせてくれるのか、いつモデルチェンジになるかを含めて楽しみなところです。

「仕事をすれば仕事が増える」、いい場合と悪い場合


仕事をすると仕事が増える。 神戸炎集団・樋口新一「職業:受験生応援団団長」/ウェブリブログ」を読んで。

プロフェッショナルの流儀とかいうNHKの番組で, 仕事をしているときが一番頭が働くので、アイデアが浮かびやすいというようなことを放送していました。 仕事中にいろいろな事に気付き、その解決策を空き時間に考えるというパターンも多いものです。 結局、仕事をすれば、新しいことに気付いたり、アイデアが浮かんだりという機会が増えるので、ますます仕事が増えるということなのかと思います。

仕事に集中してるときってのは、頭の回転も速くなってて、ちょっとしたときに他の仕事の解決策に気づいたり、これからどうしたらいいかが次から次へと頭の中に浮かんで来たりという、仕事におけるゾーンとでも言うような状態になることがあります。

この状態になると、次から次へと仕事が繋がって行くので、どんどん仕事が増えて行くことになります。


これはいい意味での「仕事をすれば仕事が増える」。



一方、昔の職場での話ですが、「一旦頼まれ仕事をこなすとそいつはその仕事ができる奴だ、と認定される」→「次から次へと仕事が降り積もってくる」→「頑張ってこなせばこなすほど、「ああ、あいつはまだやれるんだな」と認定される」→「ますます仕事が振ってくるループ」→「仕事過多になってつぶれる」というパターンが何度も繰り返された結果、誰も頼まれ仕事をやりたがらなくなって逃げ回るようになってしまった(頼まれ仕事をやる=負け、というパターン学習)ってのを見たことがあります。


これは悪い意味での「仕事をすれば仕事が増える」。



自分のテンション、モチベーションを高めて、自己処理する仕事を増やして行くのはいいのですが、他人に仕事を割り振る側が一方的に与える仕事を増やし続けるってのは、職場の崩壊を招きかねません。

こうした「できる人に仕事が集中して、その人がつぶれる」って話は、どこでもありがちな話ですが、人件費削減で少ない人員でかつてと同じ様な仕事量をこなさなければならない今では、より集中度も高まってそう。

月間数万PVだけどブログでアクセスを集める秘訣を語ってみた


ブログでアクセスを集める秘訣を語ってた増田の記事が面白かったので、ここでも紹介。


元記事は
月間100万PV超のボクちゃんが人が集まるブログの秘訣を語っちゃうよ
月間100万PV超のボクちゃんが人が集まるブログの秘訣を語っちゃうよ。」(続き)


この増田がどんなブログを書いてるのか見てみたい気がするくらい小気味良く書かれているブログでアクセスを集める秘訣。

このブログは月間100万PVなんてほど遠いたかだか数万PVくらいのブログだけど、数年ブログ続けてれば何をすればアクセスが伸びるかってのはだいたい分かってくるもので。増田が挙げてる秘訣に沿って思うところを書いてみる。


内容は絞る


ごちゃごちゃといろんなジャンルの記事について書いてるブログはアクセス増えない、読者増えないの法則とでも言うか、よく言われてる話。これは、読者がブログを読むとき、自分の興味のない話題は極力読みたがらないというノイズを嫌がる性質から来てます。

いろんなジャンルの記事を雑多に書いてるブログでアクセスが非常に多い所ってのは、そのブロガー自体が相当認められているか、もしくは何に付いて書いても読者が楽しんで読めるような記事を書いてるか、って所だけなので、どちらかに該当しない限りはアクセスのためには内容を絞る方が正解。



あと、アクセス欲しいときに考えた方がいいのは、取り上げるネタのジャンル。ブログで書かれる話題は数あれど、それぞれのジャンルの読者数ってだいたい決まってるんですよ。だから、たくさんアクセス欲しいなら、たくさんの読者がいるジャンルのネタを書くのが正解。

パッと考えてみて、読者が多そうなジャンルってのは、エロ(これはダントツ)、2ch、芸能、ネタ、辺り? ブログ論なんて書いてるのと比べると、たぶん2〜3桁は楽勝で読者数が違います。ゲームや漫画なんかも全体で見れば読者は多いんですが、作品とかにこだわるとあっという間に限られた層になってしまいがちってとこに注意。


コメント欄はつけろ


コメント欄はブロガーとの交流の場、なんて言うのはうまく行ってるときの話で、実際はなんか一言言わないと気がすまないってタイプの人がコメントを書き散らす場になってるってことが少なくありません。アクセスがものすごい多いブログで、まともにコメント欄が機能してるところってありますか??

芸能人ブログみたいにネガティブコメントを監視・排除してたり、完全放置で無法地帯になってるかのどちらかがほとんどでしょう。


でも、アクセスのためにはコメント欄重要なんですよ。そうやって何か一言言いたいって人が何かを書きにやってくるし、コメント欄で妙に盛り上がってアクセス伸びるなんてのもあるから。荒れてるってのもアクセス的にみれば好要因。


読者のために書け


これは本当にガチで重要。読者的には、読んでてなにかしら得るもの(面白さ、突っ込みどころ、コミュニケーション、知識などなど)がなけりゃ、そのブログを読みにくる必要がない訳で。

自分が書きたいことを書きたいんだ!ってのがあっても、アクセス欲しいならそれをどう加工したら読者に楽しんでもらえるか考えて書かないとダメ、絶対。


口調は統一しろ


口調を統一するっていうか、ブロガーとしてちゃんとキャラ作れってこと。キャラって言っても変な電波キャラを作れって意味じゃない。そのブログの記事見て、あー、あの人が書いたんだなって分かるような記事を書けってこと。そういうブロガーのキャラがでる要素の分かりやすい一つが口調。


いろんな記事に対して言ってる主張が違うダブルスタンダードや、言ってることとやってることが違うってキャラは、瞬間的なアクセスは伸びるけど、あまり長続きしない傾向にある。例外的に長続きしてる人も居ない訳ではないけど、まあ例外的存在。


べたべた広告はるな


雑誌だって広告だらけなものは嫌われる。たまに文脈に沿ってはられている広告くらいならたいていの読者(嫌儲は除く)は気にしないけど、度を超した広告はウザイだけ。


関連記事にリンクはれ


web上では、全てのページはリンクによって繋がってる。だからリンクが多い記事ほど価値が高いって評価(GooglePageRankとかね)になる。

記事を読みに来た人だって、関連してる話題だったら読みたいだろうし、関連記事にリンクを貼ると相手のブログからも認識されて紹介されたりすることもある。

でも、ただ検索で関連記事を探してきて貼るだけってのは頂けない。中味見て、何かしら本文に絡めて紹介したり、ちょっとした一行要約つけてリンク先に飛ばせる工夫したりとか大事。


他の似たようなブログに顔だせ


ブロガーは基本的に他のブログとの交流を求めてるもの。ただ、みんなシャイだからなかなか自分からは「仲良くしようよ!」って言い出しにくいもの。なら、こっちから声かけて交流すべし。同ジャンルのブロガーを多く知ってれば、ネタも拾ってきやすくなるし、紹介されることも多くなる。ちょっとの勇気でアクセスゲット!、だ。


他のブログきにすんな


これもガチで重要。他のブログとかぶったネタ書いたとき、自分のブログの方がアクセス少なかったりしたのなら、それはどこかで自分のブログの方が劣ってるから。でも、そんなこと悔しがっててもアクセスは増えない。悔しがってる暇あったら、どこが負けてるのか考えて、次そこで負けないような記事書けばいい。

他のブログで先に書こうと思ってたネタを書かれたとしても、気にせず同じネタで記事書けばいい。おっと、でも他のブログの記事を見てしまったのなら、内容はかぶらないようにしないと、パクラれた言われかねないので注意。(ブロガー本人だけじゃなく、読者から指摘されることも多い)

似た様な話題だって、ちょっと視点変えてみたり、オリジナル要素付け加えたりするだけで結構違う記事になるもの。



他のブログを気にして記事が書けなかったら、その記事を書いたときに得られたであろうアクセスが無くなってるってことを忘れるな。


毎日更新しろ


これもガチで重要。読者はとにかくマメに更新されているブログを好む。読者の視点で考えると、気に入ってるブログにはどんどん更新してもらいたいよね? そういうこと。

ただ、毎日更新を目指すあまり、水増し記事みたいなうっすい内容の記事を連発したら、あっという間に読者は離れて行く。記事の濃さは薄めずに、毎日更新。



え? それは大変すぎる? これくらいできなくて月間100万PV目指すなんて、ちゃんちゃらおかしい。


はてなブックマークとか気にスンナ


はてブによるアクセス数<ニュースサイトによるアクセス数だから、これはある意味正しい。でも、多くのニュースサイトははてブを情報源としてたりするので、はてブされるのが全く無意味ってこともない。

どちらにせよ、他のサイトから紹介・参照されるのがアクセス多いサイトには欠かせない要素。


ちなみにはてなダイアリーでブログ書いているなら、はてブに取り上げられるとダイアリートップに載ったりしてアクセス数増加効果あり。うちはこの効果で、はてなダイアリー内ではそこそこ知名度あるらしい。


悪口は諸刃の剣


誰かを貶してスッとするのがいい、他人の揉め事を見るのが大好きだ、なんてのは誰しも少なからずもってる部分なので、悪口(誹謗中傷や罵倒の類い)を書けば大いにブログは盛り上がってアクセスは激増する。その悪口が強烈であればあるほどに。そして、悪口は悪口を呼び、どんどんアクセスは膨れ上がる。俗にいう「炎上」って奴もそう。

でも、人に対して悪口を言うのは平気でも、人に悪口を言われるってのはほとんどの人が耐えられなくなる。自分で1悪口を書いたら、それが10にも100にもなって返ってくるのがネットの増幅効果の怖い所。



瞬間的にアクセスが爆発しても、そのままブログが爆発炎上、木っ端みじんになってしまったら意味が無い。


デザインは考えろ


これは「読者のために書け」に通じる部分。自分のブログだもの、自分がカッコいい、美しいと思うデザインにしたい気持ちは分からないでも無いが、誰しもが自分と同じ感性を持ってるなんて思わない方がいい。

大昔によく見かけたチカチカ点滅するGifアニメや、カーソルに何かついてくるギミック、米粒に字書いてるつもりか?ってくらい小さな文字や絵の具箱を間違えて踏んづけたんじゃないか?ってくらいケバケバしい色使いのサイト、これらが最近じゃほとんど見なくなったのは、それなりな理由がある(→他人にはとても見られたもんじゃないから)。


いまだにそういうデザインなサイトがあったりするけど、間違ってもそういうのにあこがれちゃダメ。あと、音がなるブログパーツとかも論外。


他のサイトにリンクを貼れ


自分のサイトの中でループ状にリンク貼ってるとことか、なんなの? 死ぬの?

読者がリンク踏むときは、それが見たい情報への道筋だと思って踏むんだよ。何度も同じところをぐるぐる回らせられるのはエロ系サイトだけで十分。ソーシャルブックマークの登録ボタンとか、コメント、トラックバック表示とか、Web拍手、Webランキング登録ボタンとか、どうせ置くならちゃんと期待通りの機能を果たすのにして。騙されてよくわからんとこに飛ぶとか、自己ループしてるとか、参照記事だと思ったらWebランキングボタンだったとか、ホントありえない。読者をバカにしすぎ。



あと、「関連記事にリンクはれ」でもあったけど、Web上ではリンクがものすごい重要。たくさんアクセス得るには、より多くのサイトからリンクを貼られる必要がある。リンク貼られるためには、まずこっちからリンク貼れ! 何もしないで、相手からリンク貼ってくれるの待つだけなんて、効率悪過ぎ。



おっと、でも宣伝トラバを飛ばしまくれ、って言うんじゃないから誤解しないように。あれは勝手に相手のブログに自分のブログへのリンクを貼る行為だから、他のブログから嫌われまくる。


アクセス数気にすんな


アクセス数見てるだけでアクセス数増えるなら、ずっと見てればいい。そんなわきゃない。

アクセスを呼ぶのは、ブログに書かれた記事。どんだけ多くの読者が読みたいと思う記事をブログに書くかがアクセスを呼ぶ。極端な話、アクセス数なんて全くチェックしなくたって、やることやってりゃアクセスは十分増える。



自分でアクセス数を増やすコツをつかもうと思ったら、それなりにアクセス解析は必要だけれども。


記事は読み直せ


キャラ作りにも通じるけど、読みやすい文章、引き込まれる文章に読者はついてくる。誤字、脱字だらけ、読みにくい、つまらない文章じゃダメ。

ブログをアップする前に、最低限、日本語としてまともになってるかくらいはチェックしても損はない。



文章ってのは、その人それぞれの書き方やスタイルがあるけれど、うまくなりたかったら、それなりな数の本や文章を読んだ方がいい。自分で0からスタイル作り出せる人なんてほんの一握り。だいたいは、人の物まね、パクリなんかから、じわじわと自分のスタイルを作り上げて行くもの。


自分の人気記事紹介しろや


これも重要。ブログはログってつくように、どんどん記事が流れて行くスタイルなので、ほんのちょっと前の記事でもすぐに流れてしまう。まして、毎日更新してたりしたらなおさらのこと。

過去の記事でアクセスが多かったものってのは、それだけ読者に気に入られる要素があった記事なんだから、サイドバーなんかで紹介しておいて、まだその記事を読んでない人に来てもらうのは効果大。


過去の記事にも気を配れ


例えば、連載もの、シリーズものの記事なら、一つ前、一つ後に記事へのリンクを最初と最後に付けるとか、書いた記事に関連している過去記事があったら、最後にそれを関連記事として紹介するとか、自分のブログの中の記事同士のリンクも貼って貼りすぎることはない。

これで記事のアクセス数が数倍くらい違うこともあるから、ホント大事。(ちゃんと次の記事へのリンク貼るだけで、シリーズものを最後まで通して読んでもらえる確率がグンと上がる)


自分を崩すな


あなたのブログを読みにくる人は、どっかのリンクや検索エンジンから流れてくる一見さんと、あなたが書くものを気に入って読んでくれるお得意さんな読者。お得意さんも最初は一見さんから。ブログ記事と読者の出会いなんて一期一会、気に入られるかどうかなんて、毎回毎回の運試しみたいなもの。



たくさん記事を書いてれば、どうしたってブロガー本人の中味が出てしまうもの。小手先だけで、都合のいい記事書いてても、どっかでそれを見破られてしまったりする。

ブログってのは、自分の頭の中をネット上にさらけ出していくようなもの。自分の意思次第でいかようにだって変えられるし、ブログに引きずられるように自分が変わって行くのだってありうる。いわば、自分の分身みたいなもの。

無理に取り繕ったりしてもどこかでほころびが出るし、長続きしないものなので、自分をしっかり持っておくと軸がぶれない。



とまあ、アクセスを稼ぐ秘訣を見てもらった最後に


紹介した増田記事のアクセスを稼ぐ秘訣見出しから、自分の思う所を書いてみましたが、だいたいしばらくブログを続けてれば、こういったアクセスを稼ぐ方法なんてのものは見えてくるものなんです。

アクセスを増やせるかどうかってのは、それを着実に実行に移せるかどうか。



ブログを書くってことは、何もアクセスを稼ぐってことだけじゃありません。自分の書きたいことを書くってのも大事だし、好きにやりたいように作るってのもアリ。ブログの数だけ、ブログの書き方は存在してる。

自分のブログを見たときに、何を目指してブログを書いてるのか?って所に照らし合わせて、アクセスが欲しいんだ!って思うんだったら、紹介した増田記事や上述した内容を心がけてみればいいってことです。



私は、アクセスが多ければそれはそれで嬉しいですけど、自分が書きたいことを書くって方がアクセスを稼ぐってことよりも自分にとっての重要度が高いので、上述したようなアクセス稼ぎの秘訣はあえて実行してないものもいくつもあります。もちろん、実行しようとは思ってるけど、なかなか実行できないのもあります。毎日更新とか。



逆に読者側で言うと、アクセス稼ぎの秘訣としてあげられているような要素ってのは、読者から見て面白い、ためになる、読んで楽しいブログの書き方でもあるんですよね。だから、これらを参考にして、面白いブログが増えるってのは大歓迎だったりします。



続きで「月間数万PVくらいのブログはこんな風に書いているよって所を語ってみた - 北の大地から送る物欲日記」ってのも書いてみました。よければどうぞ。