ITmedia News:妄想クリエイター集団「宙プロ」に迫る (1/3)(from デジモノREVIEW)


「宙プロ」? 「宙」ってなんか聞いたことあるよなぁ、と思ってたら、やっぱりあの「宙」でした。

そう、コレ。

こうして生まれた「掲示板的コトバ宇宙 -宙」は、各掲示板を「宙」と呼び、コネタや迷惑な仕掛けを仕込んでユーザーをコミュニケーションに駆り立てる。

昔、知り合い同士みんなで自分の「宙」を作って遊んでたなぁ。

新サービスの名は「空言」(そらごと)。相変わらず“和物”なネーミングで“アンチかっこいい”を体現した。

 コンセプトは「コトバのプラネタリウム」。今日食べたものや今の脳内BGMなど、ふと気になったキーワードを自分の「空」にポンポン打ち上げ、夜空を埋めていく。ブログよりも気軽に、思いつきで発言できるサービスを目指した。

うわ、これも楽しそうだなぁ、「空言」(そらごと)かぁ、サービス始まったら使ってみたいな。

FPN-mixiの事件に見る運営ポリシーの重要さ(from はてなブックマーク)


日本では一番大きなSNSmixi、急成長しているだけあって、いろいろと揉め事の話も耳にします。

複数IDを取得しているユーザー、自動巡回ツール、不特定多数に紹介状を広めるユーザー、などなどいろんな問題点がありますが、今回のはbot人工無能系のプログラムを動かしてあるIDで活動してたユーザーの話。

いったん特例が認められてしまうと、その後、同様の事例があったときに措置が取れなくなるんですよねえ。一部のユーザーたちの盛り上がりをよしとするのか、ユーザー全体のことを考えるのか。

あと、よく言われるメッセージや日記を管理側に閲覧されている問題とかもありますね。


今後、こういう揉め事はどんどん増えていきそうで大変そうですが、mixiには国内最王手SNSとして頑張って欲しいところです。

ITmedia +D Games:「Halo3」を脅かす存在にも成り得る――「Gears of War」を先行体験してきた(from 楽画喜堂)


E3ではなんかひっそりしてて、あまり情報がなかったXbox360陣営でしたが、実はXboxLIVEでE3での発表内容をネット配信してたりとかしてた模様。

ああっ、うちのXbox360も早くネット接続してやらないと!(まだしてない)


あの「Halo3」を脅かすって、尋常じゃないですね。これは要チェックリスト入りだ(メモメモ)

GIGAZINE - マクドナルドは世界でも変わろうとしている


マクドナルドが24時間営業店拡大 今夏までに200店 (朝日新聞) - goo ニュース

低価格路線はさすがにきつかったのか、最近マクドナルドは経営方針をいろいろと変えようとしています。

確かに味を求めてマクドナルドに行くことはないもんなぁ。出先で休憩したい、急いでてさっさと食事を取りたいなんてときには便利なのですが、逆に言うとそういう用途でしか使いません。

美味しくハンバーガー食べたかったら、モスバーガーフレッシュネスバーガー辺りに行くし。

デジモノに埋もれる日々: 「メガとんトラック」がトラックバック受信可になりました!


私の巡回先は、ソーシャルブックマーク個人ニュースサイトの更新データを元に話題記事を追いかける系なサイトが多くて、その中の一つにckomさんがやっているメガとんトラック - 個人ニュースサイトURL収拾車 -">「メガとんトラック - 個人ニュースサイトURL収拾車 -」があります。

私にもプログラミング技術があったらこういうサイト作ってみたいよなぁ、といつもうらやましく見ています。


記事を作り出すブログ側、記事を広めるニュースサイト側の両方で参加できるのが非常に楽しい。

最適化よりも記事の質を上げたい。


とあるブログの舞台裏 ニュースサイト運営者に記事を見てもらうためには(from 明日は明日の風が吹く)」を読んで。


最初に結論から書くと、私自身はブログにせよニュースサイトにせよ最適化も見てもらうという意味では大事だとおもうけれども、本質的には記事の質を上げることで人の目に触れるようになって欲しい、って考えです。記事の質を上げる>>最適化。もちろん、自分の書いた記事を必要としている人のところに記事を届けるという意味では、各種最適化のテクニックも必要だとは思っていますが、そればっかりで中身スカスカではね。

僕がブログを続けている理由は「常日頃から考えている、社会生活にはほとんど役に立たない事=脳内排泄物を垂れ流す為」なので、ニュースサイト運営者(あるいははてなブックマーカー)の興味を引くためだけに更新をすることなど、とても想像できません。

うは、達観してる(笑) 私はそこまで達観してないので、「自分が考えたことをつらつらと書き連ねてたら、誰かがそこから新しい何かを考えたり作ったりするきっかけを持ってってくれるだろう」って理由でブログつけています。そこから何か生まれたら、しっかり再利用させていただくつもりなので、ちょっと欲深い。


っと、話がちょっとそれましたが、そんな感じでブログ兼ニュースサイトっぽいサイトを運営してる身として、「ニュースサイト運営者に記事を見てもらう事」の内容について検証。


  • ニュースサイト運営者のブログや掲示板にコメントする
    • いつも記事を取り上げられてたり、コミュニケーションしてるサイトの運営者とならコメントとかで話してみたい気持ちはあるけど、特に係わり合いのないニュースサイト運営者のブログや掲示板にコメントは有り得ないかな。あ、自分が好きなニュースサイトだったら別かも。でも、去年までTECHSIDEくらいしか見てませんでしたが(笑)←ニュースサイト知らず
  • ニュースサイトから注目されている記事にトラックバックを打つ
    • トラックバック打つ記事は完全に自分の興味本位だから、これはないなぁ。形としてそうなってしまう場合はありますけど。
  • 逆リンク機能
    • ん? はてなのリファみたいな機能のことかな? はてなだと自動でついてるから別に何も考えてませんでした(笑)
  • ブログの足跡機能
    • あぁ、楽天とかであるのは使ってるので知っています。足跡経由のアクセスを稼ぐために、片っ端からいろんなサイトを巡回するツールなどもあるようで。そういう意味の無い訪問見ると萎えるので、ブログに関してはその機能があっても余り見ないかな。むしろいらない。
  • サーチエンジン最適化対策
    • 知識としてはある程度知っていますが、面倒くさがりなので実行すること少ないです。ここもSEO最適化はほとんどしていません。
  • ニュースサイトに紹介してもらう
    • いくつかのニュースサイト運営人の巡回先にキャッチされているようで、そこを基点にたまにニュースサイト波状アクセス波をもらうことがあります。ありがたや。(-人-)

(参照記事:デジモノに埋もれる日々: 実録! 個人ニュースサイトが織り成す「華麗なる波状アクセス」一部始終
いい記事を書き続けることで、自分のブログを覚えてもらえたらと思っているので、改めて自分から売り込むことはしないかな。もちろん紹介されたら嬉しいですよ、ええ(笑)


話はちょっとずれるけど、各ニュースサイトは自分の巡回先をサイドバーにずらっと並べてたりしますよね。あれをつけようかなぁと思っています。ちまちまと自分の巡回先を整理中。

私のはてなブックマークの半角マイナスがついてるタグが主な巡回先なんですけど、まだ入れてないのがいくつかあって、それを整理したらサイドバーに巡回先を載せようと思っています。基本的にFeed系なのが多いかな。あと、自分の記事を拾ってくれたニュースサイトとかを巡回先に加えたりして拡張してたりします。


じわじわと小改良してたりするので、暖かく見守ってやってください。最近改良したのは、トップの説明分、ReamMeに参加、PV推移のグラフをサイドバーに入れた辺りかな。

以上で今日の検討会を終わります。
起立。礼。 m(_ _)m

PCを落下&水攻めという驚愕のデモを実行! 松下ネットワークマーケティングが“マイレッツ倶楽部3周年記念パーティー”を開催(from TECHSIDE)


うは、やりすぎw

最後に行なわれたのは“耐100kg加圧コンテスト”。これは、参加者が“Let'snote”に圧力をかけて、一番圧力をかけた人が賞品をゲットできるというもの。複数の参加者が1人づつ“Let'snote”を押したり、体重をかけたりした。

体重100kg以上の人が参戦してて、メキョッっとか逝っちゃったら・・・・・・ガクブル。

会社のあり方


HOW DO YOU LIKE SILICON VALLEY? | Google 本社 ツアー」を読んで。


Google本社ツアーは、いくつかのサイト
で読んだけど、読むたびにGoogleはすごいところなんだと痛感させられる。

社員の顔、仕事の成果とならんでいるのは、「Googleの頭の中」だ。おそろしく長いホワイトボードがあって、Googleが未来に何をするか、どんなことが起こるのか、それらがどういうつながりを持つのかがびっしり書き込まれている。これは、社員がいつでもどこでも好きな部分を消したり、書き足したりできる。Wikiと同じで、みんなが面白いと思うものがいつまでも残ったり、改良されていくのだろう。中にはここから実現したものもある。

ウェブだけでなくて現実の世界上のしくみでもWikiのように考えを共有してしまう、話に聞けばふうんと思うけど、コレを実際にやってるところがすごい。これと同じコトをしようと考える会社はどれだけあるか、そして実際に実行できるところは、と考えると。

この後、食事を食べた。有名な話だが、カフェの食事は社員にも来訪者にもすべてタダだ。これは、
・全員が食事の度に車の大移動をしたり、支払いをしたりする時間ロスをなくす
・来訪者へのプラスの印象を買う
としたら、十分見合う投資だ、ということで決まったそうだ。こういう風に、ちゃんと理由があり、結果が見合うことはWhy not?の精神でぱっぱと実現してしまう。

なんて合理的なんだろう。

理由があり結果が見合うことは全てぱっぱと実現。このスピード感。

何故、これほどまでにWhy not?と自由が徹底されているのだろうか。健康であること、出勤中もネットにつながり仕事ができること、必要な部品を待つ必要がないこと、ランチのための時間ロスがないこと、アパートのランドリーが使えない時間まで働いても心配しなくていいこと、これらはすべて、「余計なこと」に時間を使わず、ひたすら仕事だけをしていい、ということなのだ。これって、実は社員にとってものすごく「恐ろしい」ことなんじゃないのか?

仕事をすることが生きがいになっていれば、これほど優れた環境はないですが、その反面、仕事として捉えてる人にとってはこんな「恐ろしい」会社もないでしょうね。

この自由な環境は、通勤や食事、洗濯から健康から、公平な人事から、なんからなにまで、仕事が出来ないことを、ほかの誰のせいにもできない。このような環境の中で、自分を見失わずに働き続けることが、どれほど難しく、恐ろしく、どれほど楽しいことか、想像できるだろうか。

いつかはこういう環境で好きな仕事をめいいっぱいやって見れたらなぁ、と思う。

ネットにアップしたものは誰でも見られるという意識


個人情報を売りにせずに魅力的な記事を書く - sugar pot」を読んで。

「個人情報を売りにしている」などと書くと何かと思われるが、ブログの記事を書くということは、多かれ少なかれ自分の情報を読者に伝えていることになる。

突き詰めていくと「どう考えるか」というのは思想信条であるから、それこそ個人情報なのだが、ここでは、「個人がそれと特定できる一般的情報」について書いてみたい。

ここ数日、そういう話題に触れていて、この記事も気になったのでピックアップしてみました。

見えないものは存在しない

人はそういう誤認を犯しがちである。電車の中の真後ろの見知らぬひとの気配には気付くが、ネットの向こうに居る名もなき膨大な数の(かもしれない)読者は、想像しなければ存在し得ない。

そうなんですよね、ネットにアップするというのは膨大な数の不特定多数の人に見られるという可能性があるということなのに、見られるということを想像していない人が多い。

見に来た人はアクセス解析やカウンタが回ることで気づけますが、見ようとしたら誰でもあなたの書いたことを見に来ることができるんだ、という可能性に気づいていない。

そもそも「日常の記録」を「ありのままに」「書くこと」に意義を見出している人も居る(身近な人間だけが面白ければ良い)。そういうひとに「客体視」なんて言ってみても始まらない。だが、「日常の記録」なら、ブログではなく机の上の大学ノートや便箋で良いはずだ。

ブログというツールは、誰でも、オンラインで日記を書ける状況にしてしまった。その結果、広く公に晒される必然性のないものまで、公開されている。

身の回りの人に見てもらえばいい話は、身の回りの人しか見れない場所で。そういうアクセスコントロールの重要性はよく考えます。

SNSの中でアクセスコントロールかけることでそれが可能かなぁとも思いますが、なかなか記事ごとに個別でアクセスコントロールできるようになっているものは存在しませんね。

理想は、自分が所属している集団ごとにSNSがあって、そこで伝えたい、伝えてもよい内容だけをアップするという使い方ができるネット上のコミュニティサービスをどこか始めてくれないかナァと思うんですが、なかなかない。

○○ちゃんのよちよち歩きの写真など、面白いのはごくごく周りの数人で、そのために全世界に公開する必要があるかどうか。「真後ろでそれを覗き込んでいる見知らぬひと」はネットの向こう側にも居るのである。それはやはり想像しておいたほうが良いですよ、と、私はこうしてこれからも繰り返し書いていくだろう。

私も身の回りの人にはそういう話をよくするんですが、なかなか分かってもらえないことが多いです。でも、伝えることはしていきたい。


以前に「お互いのブログを見ないという条件でブログを続けた家族」という内容のネタブログがあって、それがネタとはいえ非常に考えさせられる内容だったんですが、見つからない・・・。見つけたら貼ります。


(追記)
コメント欄にてsugarさんから教えていただき、探していたサイトを見つけることができました。sugarさんの記事中にて紹介されているそのサイトを見てみてください。いろいろと考えさせられることと思います。
【老婆心シリーズ】子どもの写真をブログに掲載している方へ #2 - sugar pot
これは とある かぞくが のこした blog で ある。

「見られることを意識しよう」ってことが伝えたいことで、「だからネットは危ないからブログをやめよう」ってのではないのに注意。sugarさんも触れられていますが。

日常に浸透するネット界隈の出来事

交差点で信号待ちをしていたら、突然「2ちゃんねるって知ってるか?」という声が聞こえてきた。
ふと隣を見ると、スーツ姿の若い男性が携帯電話で話している。ネット系の話題だわと思い、聞くでもなしに聞いていたら……驚きの内容だった。


2ちゃんねるとかmixiとか。


少し前だと、ネットに入り浸っているような人しか知らなかった場所が、普通に一般の人の間で話題に上るようになって久しいです。

街中でそんな話題をしているのをふと耳にすることも多いですけど、そこで誰かを特定できるような個人情報系の話が出てくると、後で簡単にネットでそれを追跡できちゃうんですよね。

話している本人はまさかそんな探られるとは思ってもみていなくても、探ろうと思ったら簡単に探れちゃう。あまり大声で個人情報をべらべらと話さないほうがよさそうです。特にネットが絡んでいる話の場合には。

セガの中氏が新会社設立


GAME NEVER SLEEPS - 中 裕司氏、新会社「プロペ」設立によせて」を読んで。


どんどんと開発チームが子会社化、別会社化してるセガですが、ついに中氏まで新会社を設立して移籍なんですね。

私がセガというゲームメーカーを好きだった、その好きだった多くの作品を作っていた中氏。会社が変わっても彼の作り出す新しいゲームに期待しています。

PROPE, Ltd.

コアゲーマーには電気代の差なんて!


わぱのつれづれ日記 - 各種据置ゲーム機の年間電気代の違い」を読んで。


コアゲーマーは電気代の差なんて気にしない。

やりたいゲームが一本でもあったらそのハードを買う。

俺が買わねば誰が買う。



などと思いましたが、世の中大半の人は一般人です。そういう人が気になるであろう各ゲーム機電気代の予想記事。


予想通りXbox360PS3が高いですね。ハイパワーマシンだからある意味当たり前。みんなわくわく大期待のWiiは電気代でも大きく他2機種をリードしているようですね。

こちら側とあちら側の見えない壁


ウェブ進化論で言われるこちら側(リアルな世界)とあちら側(ネット上の世界)。


すでにネット上の世界に参加している人にとっては、両者の間にはなんの壁も存在しないのだけども、こちら側にしか参加していない人にとってはあちら側の世界の前には見えない壁が存在しているんだと思う。


今の大人の多くは、こちら側の世界しかなかったところにあちら側の世界が出現したので、それがなんなのだろう?とは気になってはいても参加するまでには至らない、そもそもそんな新しい世界が出現してるなんて考えもしない、そんな人が大半だろう。

でも、今はこちら側とあちら側というふたつの世界が存在しているのは確かであり、両方に身をおいて生きている人々もどんどん増えている。そして、今に生きる子供たちは両方の世界が存在しているのが当たり前として成長していく。そう、彼らにとっては、我々があちら側と称する世界もこちら側、ホームポジションなのだ。

今の子達にとって、ネットはよく分からない物ではなくて、普通に電話等と同じように「そこにある」世界なんだろうと思う。いや、世界じゃなくて、手段でありツールかな。そこは、ツールでありながらコミュニティでもある。mixiなんかは完全にコミュニティだろうな。

昔だと近所の知り合い、親戚くらいの小さな輪から始まって、小学校、中学校、高校と成長していくに従い自分の行動範囲がどんどんと広がっていき、そこで世の中にはいろんな人がいるんだと知り、コミュニケーションの方法を覚えていき、という形だったのが、今は幼い頃からネットという魔法のツールで自分の世界の輪を極限まで広げた状態からスタートできる。ネット上で議論してる両者が小学生と60歳を超えた老人という形も、今後は当たり前になってくる時代。

距離や年齢、身分、肩書きという制約がなくなった世界。

ネットの世界で、同じ趣味や近場に住んでいるといった共通項を持つ人同士が集まって、楽しく騒いだりしてきたけど、そういう事は今の時代、危ない事であり、大きなリスクを伴う物になってしまっているようで、少し寂しい。勿論、これだけトラブルがあると、怖くてしっかり考えて行動しなくてはとも思うけれど。

ネットに参加する人が増えてきて、残念ながらそれを悪用する人々が増えてきた事実。年齢、身分、肩書き、性別なんてものが簡単に詐称できてしまうネットでは悪人が人をだますことも簡単になっていて、ネットに参加するには身を守る知識を持って参加するのが望ましいですよね。

そうすると、現実と同じように「知らない人についていってはいけません」とか「人を見る目を養いましょう」といった事は、ネットの世界でも同じと言えるのだろうな。ネットだからこそ、注意をしましょうじゃなくて、全て自分達の世界として、気をつけつつ交流関係を広げ、楽しい人間関係を築く……今の子達にとって、友達を増やす機会はとても増えているのかもしれない。

結局、気をつけないといけないことは、現実のこちら側の世界でもネット上のあちら側の世界でも変わらないんだというのは言えてます。どちらの世界にいても気をつけないといけないことはいっしょで、いかにそれを子供たちにちゃんと教えてあげられるかが我々大人側の責任なわけで。

きちんと気をつけることを踏まえて利用すれば、ネットの世界には大きな可能性が待っていて、我々の時代とは違った世界が待っていそう。


我々の時代でも自分の趣味などの仲間をネットで見つけることで、そういう世界を知らない人に比べればずっと広い人間関係を作ることができたけど、いかんせん参加していない人の方が圧倒的に多くてまだまだネットの世界の可能性を100%感じることはできなかったのが、これからの時代はどんどん100%へと近づいていく。

もう、私はおっさんの領域なので、今の子供達の気持ちについては、推し量る事ぐらいしか出来ないけれど……あまりにも当たり前のように存在しているネットと、大人達から言われる「ネットは危ない」のズレに違和感があるんじゃないかとか、そこで知り合った人達に特殊なイメージは持たないんじゃないだろうかとか色々想像してみると面白い。

こちら側の世界にしか参加してない人がだんだんと少数派になっていく時代は、おそらく今後15年くらいで一気に加速すると思っています。ネット世代が成人して社会にでてくる、いや、もう成人という年齢の枠組みも関係なくなるかもしれません。子供の頃からネットを通じて社会に参加する子供も増えてきそう。


よく言われるデジタルディバイドによって引き起こされるネットディバイド。ネットの世界に参加しているかどうかでその人の持つ世界の広さが大きく変わってしまう。いままでは隠されていた事実がネットに参加することでどんどんと知ることができるようになってきていて、自分から知ろう、行動しようとする者には無限の可能性が待っている。

そういう時代に生まれたかったなぁとも思うが、そうなる前の混沌としていた黎明期に参加出来た事は、得難い経験が出来たという意味でとても大事な物だったとも思う。これは、今の子供達には出来ない経験なのだから。

私ももうちょっと後ろか、またはこういう世界を作り出すために前の時代に生まれたかった、と思うことがありますが、この時期に参加できたことは我々にしかできない体験だと思っています。

戦争前と戦争後を知ってる祖母祖父の世代。さまざまな高度成長を目の当たりにしてきた両親の世代。高度成長のかげりと新しいネット世界が生まれるのを体験してきた我々の世代。両方をまたいで生きてきた人にしか、その時代、その事象について体験を元にして語ることはできない訳で、自分の体験してきたことを後ろの世代に伝えていく、バトンを渡す役割を果たしたいってのはよく考えます。

それでも……今の子供達が「こちら側」と「あちら側」の区別をする事すらなく、どちらも自分達の活動エリアとして、自由に動き回る事に違和感は無いんだろうかと想像すると、そんな中で活動している今の子供達の「感覚」「感性」といった部分が、スタート時点から私とは違うのだという事に羨ましさをも感じる。私達の世代よりも、「当たり前」に世界は広く、そして近いんだろうな。

我々はパソコン通信みたいなネットの世界の黎明期、参加者がみんな目を輝かせながらその可能性にわくわくしてた時代を体験してますから、それはそれでよしとしましょう(笑)


ネットが熱意のある人々だけのツールだった時代と誰しもがそれを当たり前に使えるようなツールになってしまった時代では、いろいろと状況は変わってきます。


とあるネットゲームで、やる気満々な人が多いβ版の時にはみんな節度を守りお互いが楽しくプレイするためのエネルギーに満ちていて楽しくプレイできていたのが、製品版になって多くの人が参入してくると、とたんに参加者の意識レベルが下がって悪人は増え、ルールを守らずズルをする人がでてきてつまらない世界になってしまう、というのを体験したことがあります。

ネットの世界もいままではβ版のようなもので、コレからが製品版へと移行していくステージだと考えると、如何に参加者の意識レベルを下げずに負の要素を駆逐していけるかでこれからのネット世界がどうなっていくかが大きく変わると思っています。

このエントリの最終部分以外では、ネットのいい可能性の方ばかりに目を向けましたが、その逆にある悪い可能性についてももっと考えていく必要があって、それは黎明期の頃からネットに参加していた我々の、ある種使命みたいなもんなのかなぁと考えています。

見る見られるに関する気持ち悪さの感情の裏側を探る。


昨日の「北の大地から送る物欲日記 - 過去ログはどこまであなたを表すのか?」で書いたブログの過去ログを読まれることに対する気持ち悪さに関しての反応を見ながらもうちょっと掘り下げてみます。

「ブログの過去ログを(誰だか分からない人物に隅々まで)読まれて気持ち悪いと思うかは、そのブログの「記事内容」によるのでは?」

での考察が非常に分かりやすかったので、そこから考えて見ます。

記事内容による違い

例えば、僕が「何か主張したことがあってブログを書いている」とすれば(実際にそうなんですが)、過去ログを(誰だか分からない人物に隅々まで)読まれても別に気持ち悪いことはないと思う。むしろ、読んでくれてありがとう、って感じる。

私もこのタイプですね。そっか、確かに主張したいことを見てもらってるんだから、嬉しくこそあれ気持ち悪いって思うことはないですよね。

でも、僕が「自分の記録や親しい知人への近況報告的な目的でブログを書いている」とすれば、過去ログを(誰だか分からない人物に隅々まで)読まれたときには、薄気味悪さを感じる。

「過去ログ全部読みました!」というコメントに対して、ストーカーに付きまとわれるような感覚を覚えるのだろうか?

コメントで書かれなくても、アクセス解析してたりすれば誰か個人が自分のブログをじぃぃっと眺めているのは分かります。確かに世界中に広く公開することを意識していないコンテンツを隅々まで読まれるのは気持ち悪く思いますね。

ブログには、「自分が誰と分かるような個人情報を書き込むな」という注意ごとがよく言われていますが、こうやって自分のブログを隅々まで眺められることがある以上、そこから自分が誰か特定されてしまうことも十分有り得る話で、ストーカーなんかに対しては格好の餌となってしまいます。


これはもう自分の情報は知られてしまうものなんだ、と割り切ってしまうか(芸能人や著名人、個人情報をはっきり書いているブログの場合はコレ)、個人を特定されたくないのならなるべく自分に直接繋がるような個人情報は書き残さないようにするしかないような。


昔、2chで何かの祭りが起こった際に、祭り上げられた人がヤフオクに出品していたテレビの商品画像のブラウン管に映りこんでいた当人の顔写真を画像解析されて晒されているのを見て、調べ上げようとする人はホント何でもして調べ上げちゃうんだなぁ、と薄ら寒く感じたことがありました。

そこまでされることは普通は有り得ませんが、でもなんかのきっかけで自分を調べようとする人が現れた場合には同じようなことをされる可能性がある訳で。一度アップしたものは、いくら自分のブログから消してもどこかにキャッシュが残っていたりする可能性までは消しきれず、自衛の手段としてはやはりそういう情報を軽い気持ちで書き綴るのは危ない、という結論になってしまいそうです。

自分の書き連ねた発言が消えていって欲しい心理

だって、極端なことを言ってしまえば、中学生のときの自分と今の自分が同じ発言力で喋ってるわけですよ。検索なんかで飛んでくる人はそれが今の発言か昔の発言かなんて気にしないだろうし、実際数年前に書いたエントリーに対して直でGoogleなんかで飛ばれてくると申し訳ないなと思いつつも同じ舞台でブログを書きつづける以上、古い情報は削除されてしかるべきなんじゃないかなと思ふ。

特に俺みたいに読んで欲しいと思って書いているというよりは、精神衛生上ぺらぺら書きなぐるのが好きな駄文吐き出し人にとっては、適度なログがたまったら纏めて(゜Д゜=)ノ⌒゜がネットに散在する情報の適切なありかたではないだろうか。

kuippaさんの使い方だと、王様の耳はロバの耳の話のように井戸に向かって叫び続けるような形でブログに記録を残し続けるということで、そういう情報は削除されてしかるべき、読まれたら気持ち悪いって話。


これに関して、ネット上で一度アップしてしまったものがなかなかその存在を消せなくなってしまうのは、後々大きな問題になるだろうなぁってのは私も感じています。気持ち悪いくらいという印象の問題ではなく、その後のその人の人生にまで大きな影響を与えちゃう可能性です。


例えば若い頃にやんちゃしてて、酒やタバコをやった、万引きした、恐喝した、などの当人曰く若気の至り的なことをネット上にアップしてたのが、後々になっても残っていて、いくら本人が改心しててもその記録は消えないという恐怖。

書き込むときには、自分が消せばネット上からその情報の痕跡が全て消えると思っていても、実はそうではないということに気づいていない人はかなり多く、特に若い人、ネット初心者にその傾向が強いように思います。


以下はSNSでの例になりますが、ネット上の情報が残ることに関して。

マリファナ・パーティに参加した経験をネットに投稿していたことが後でばれて高校を退学になった若者や昔の投稿が原因で判事の職に就けなかった若者が出始めています。ネットの書きこみは永遠に残るので『彼らへの非難も人生において永遠について回る』と言うことが問題になり始めています。


人の噂は75日といいますが、ネット上での情報はなかなか消えないんです。過去の話がふとしたきっかけで再燃することもよくありますし。

人の記憶は忘れるという機能があるので、うまく都合の悪いことは忘れられますが、ネットはコンピューターによる情報の記憶で成り立っている以上、自動的にそれを忘れるような機能は存在しておらず、一度アップした情報はどこまでも残り続ける可能性があるんだということは意識しておく必要があるのかも。


それでも人は何かを書き綴る

結局、「何故読まれたり、触れられたくない過去ログをWeb上で公にしているのだろうか。」という疑問に対する回答は残念だがまだない。

私もそれを知りたいのですが、「そういう過去ログを残している人はネット上に上げた情報というのはそう簡単には消えないということを意識していない」が答えなのかなぁという感じもしています。

結局、過去ログを読まれる事自体に違和感を感じる後者の場合、人の過去ログを読むのも同じように気にしているのではないかと言う疑問である。

これもアクセス解析で自分を見ている人は詳しく分かるから非常に気になるけれども、逆の自分が見に行く場合にはそこまで見ていることを見られているという意識が薄いんじゃないでしょうか。

はっきりと見に行ったことが分かる形になっているmixiの足跡のような機能がある場合には、そこを見に行くのを躊躇することはあります。見ていることを見られる気持ち悪さ。



見る方も見られる方も、お互いの存在をどれだけ意識できているかというところに気にするかしないかの線引きがあるのかもしれません。



(参照記事)
長靴をはいたネコ:過去ログを読まれると気持ち悪いか?
べつやくいっぱ。 - 五月雨に勢いました小川はあなどりがたし
suVeneの耳をすましば: 過去ログを読まれると気持ち悪いパターン
FPN-米国SNSマイスペース上の若者の逸脱行動は永遠に咎められるべきか?